「言ってくれればやってあげたのに」っていう言葉が好きじゃない

こんばんは。田中です。

 

今更ですが、こうしてブログとかnoteとか書いて出していると、つくづく思うことがあります。

 

名前失敗した

 

アカウント作った当初はこんな風になると思ってなかったから、適当につけた。

 

「田中」なんてありふれてる名前、不便すぎる。

 

「田中=私」になんて絶対ならないじゃんな。

 

名前、募集します。

 

 

 

ーーーーー

1.経緯

 

本題。

 

友人Aが実は悩んでいた、ということを友人Bに打ち明けたらしい。

 

「大学1年の頃、授業一緒に受ける人が居なくて本当に大変だった。」

 

友人Bはこう返した。

 

「えー、言ってくれれば一緒に受けたのに。」

 

大学1年の頃はそこまで仲が良かったわけではないが、部活を通じて親友レベルの仲良しになった二人。

 

イメージとしては、大学1年の頃はすれ違ったら軽く挨拶する程度。話し込む仲ではない。「知り合い」くらい。

 

 

(大丈夫だろうか、状況うまく伝わっているだろうか。)

 

 

この会話をしたという話を友人Aから聞いた時、私は何とも言えない違和感を感じた。

 

この違和感の正体について探りたい。

 

ーーーーー

2.正体探し

 

「無責任だなぁ」と感じたのが最初。

 

「言ってくれれば一緒に受けたのに」って、言えなかったという事実から続く未来が、今この現実なわけで。

 

歴史にifを求めるような、相手に後悔を促して「行動しなかったお前が悪い」みたいに聞こえてしまった。

 

実際行動しなかったAが悪いのかもしれないが、果たして当時そこまで仲の良くなかったBにピンポイントで誘うことが出来たのだろうか。

 

逆に現在どうして二人が仲良くなっているのかは不思議ではあるが、部活という小さなコミュニティのなせる技だろうということにしておく。

 

 

「言ってくれれば」という言葉自体、主体性が無い。

 

「私から声をかけるほどでもないけど、あなたから助けてっていうなら、まぁ助けてやってもいいよ」みたいな。

 

Bの立場からすると、Aに接近されるのは良いが自分からは接近する気が無い事を表明していることになる。

 

これってとても冷酷な宣言ではないだろうか?

 

「私はあなたに興味がなかったし、必要ではなかった。」って言われるのは悲しくないだろうか。

 

それも現在仲が良くなっている間柄だからこそ悲しいのであって、お互いほぼかかわり合いの無い状況ならば悲しいとは思わなかっただろう。

 

つまり、「現在ある程度関係が構築されている相手に対してこの言葉を使うのは適切ではないと私は感じる」あたりが落としどころなのだろうか。

 

うーん、何かしっくりこない。

 

ーーーーー

 

3.理想は理想でしかない

 

じゃあ、理想的な状態は何だったのだろう。

 

まずは、「言ってくれれば受けたのに」ではなく、「大変だったね」等、言葉を変える事。

 

これは表面上の解決にしかならないから違う。

 

では、そもそもBの方から声を掛けていればよかったのではないだろうか。

 

「言ってくれれば」という受け身ではなく、相手の要求を汲み取った行動が出来ている。

 

・・・いやいや、仲が良くない状態でそれを求めるのは不可能だ。

 

仲が良くても相手の要求を汲み取る事なんか難しいのに。

 

そもそも、発信せずに待っているだけで歩み寄ってくれるなどという発想が受け身だろう。

 

理想は、Aが行動して居れば良かったことに尽きる。

 

別にBに声を掛ければよかった、とかではなく、やりたいと思ったことは主体的につかみ取りに行くべきなのだ。

 

我慢していてもつまらないだろう?

 

ーーーーー

 

4.反省

 

ここまで書いておいてなんだけど、読んで貰えるような記事では全くない事は理解している。

 

ただだらーっとゆるふわな思考の垂れ流しを無理やり文字にしてみた、という感じか。

 

文章力は小学生レベルだろう。

 

 

更新することを習慣づけたら、次は読んでもらえるような記事を書くことを目標にしなければならない。

 

そのためにはストーリー作りや価値のある記事にしないと。